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熱量


 ――その人、ミスはしてたけど、それでもなんか上手かったです。

 山形とのアウェーでの第2戦を明日に控えて、何かが達海の頭にひっかかっていた。
 気分転換に外に出てみると、相変わらず夜忍び込んで練習していた椿とはち合わせた。
 ふと思いついて、前回山形と対戦したとき感じたことを聞いてみた。それが達海のもやもやを晴らした。
 椿が気になったという選手、それが今度の試合のキーマンになる。達海はそう直感した。

「話し方には筋道がたってないが、まあ一応……役にはたったな」
 お疲れさん、とまだ少し挙動不審な椿の肩をたたこうとして、達海はふっとその手を空中で止めた。
 はてなマークを顔に浮かべて、椿の視線が動いた。
 達海は少し軌道修正をして、椿のほほを軽くつまむ。そのまま顔を寄せて、短い触れるだけのキスをした。
「ほんのお礼な」
「監督っ……」

 初めてでもないのに、もっと際どい真似もしているのに、いつまでも椿の反応は初々しいといっていいほどだった。それがわかっていてこういうことをする自分も大概だ、と思う。
 明日の試合の先行きがなんとなく見えてきて、今少し息抜きをしたい気分になった。それでも明日椿がスタメンに入っていたら、流石にこんなことはしなかった。

 ――要するに欲求不満なんだな。
 達海はそう心の内で呟いた。
 自分勝手で、ごめん、椿。
 
「明日は連れてけないけど、留守番しっかりな」
 気持ちの切り替えを促すように、普通の監督と選手みたいに、ことさら明るくそう声をかける。
「サックラーとケンの山形は、今度こそばっちり倒してきてやるから」
「悔しいっス」
「あ?」
「やっと何かつかんだ気がして……。あの、ETUでの自分のプレーの意味とか。それなのに自分のミスで試合出られなくなって、ほんと情けない……」
「うん、今まではただ好きなだけで続けてたみたいなもんだからな、お前は。そうやって沢山考えるのはいいことだよ。あとは休みだからって体なまらせんなよ」
「ウスっ」
「いい返事だ」
 達海は椿の腕をぽんぽんと叩いた。
「じゃあ、ぼちぼち戻るっかなー」

 何かを言いたそうな顔で椿が口を開く。気付かない振りで達海はくるりと背を向ける。
 自分だけすっきりして、まるでやり逃げ男だ。
 背後から感じる熱気は気のせいじゃない。
 達海のキスで火がついた椿が、必死で我慢している。その腕を自分に伸ばすのを。
 すぐに切り替えられるほど、器用じゃない。若いんだ、どうしようもなく。
 厄介で、ひどく愛しい。

 達海はドアの手前で足を止めて振り返った。その場で立ち止まったまま、半ば達海の背中を睨むようにしていた椿とばっちりと目が合った。椿はばつの悪そうな顔をして下を向いた。達海は声もなく笑う。

「30秒」
「え?」
 顔を上げた椿とじっと目を合わせて、達海は人差し指を唇に持っていった。
「あ……」
 その意味を理解して、椿の顔がさっと赤くなる。
 両手にひとつずつ抱えたボールを潔く放り出して、ふたりの間のわずかな距離を、ほとんど飛ぶように詰めてきた。勢いよくぶつかってくる体を受け止めると、ギュッと抱きしめられた。
「つば……き」
 苦しい、と文句を言おうと開いた口はすぐにふさがれた。
 さきほどのお遊びの触れ合いとは違う。ベッドの中で交わすような、恋人同士のキスだった。
 離れたところで感じていた熱量はもう達海のものだった。

 制限時間とか、監督と選手とか、男同士とか、年の差とか、全部関係なしで。――椿。
 こみ上げてくる波のような感情に、いつしか達海は腕を椿の背にまわす。

 そこで不意に唇が離れた。

「すんませんっ、長すぎた……!」
 背中に触れた手を、タイムアップの合図だと勘違いして椿が謝る。押しつけられた体は確かに反応していた。それなのに、そんなに俺が怖いのかと、躾をしすぎるのも考えものだなと思う。

「あのっ、監督もなるべく早く寝てくださいね」
 失礼しゃすっ、と頭を下げて椿はボールを拾ってドアを押し開けると、あっと言う間に廊下の先へ消えた。
「椿のばかやろ……、空気読めっての」

 気分が盛り上がったところでおあづけをくったのは結局俺か、と達海は苦笑した。
 いつか、と考える。
 いつか、欲望のままにあの若い体と抱き合うことができるんだろうか。お互いただひとりの人間として向き合って。
 果たしてその時椿が本当に自分を求めるのだろうかと、そういう気持ちはいつも達海の中にある。
 それでもあの瞬間、確かに全てを忘れて椿に没頭していた。彼の熱に包まれて。

 達海はぶんと首を振った。
 それもこれもみんな、自分が監督としての責務を果たした上でのことだ。
 さっき椿がくれたヒント。もう一度DVDで山形の試合を見直して、作戦を考える。

「よし、もうひとふんばり」

 走り去って見えなくなった背中は何かの暗喩にも思えるけれど。
 赤崎が、椿が、他の選手だって代表に選ばれ海外に出て行って、ETUを去るかもしれないけれど。
「でも俺だってまだまだこれからだかんな」
 監督としてのルーキーシーズンだ。これからETUはどんどんまとまって行く。上位を目指して、タイトルだって狙う。
 選手よりずっと監督は求められれば、その生命は長い。
 置いていかれるばかりじゃない。
「代表監督だって夢じゃないさ、なあ椿」

 かすかに唇に残る熱を感じながら、達海もまたクラブハウスへ内と戻っていった。
 頭の中では早くも次の試合が始まっていた。
 

バキタツ#1