Novel

彼について

「石浜、それおまえの車?」
 練習を終えて、駐車場でそう声をかけられた。振り向くと自転車に跨った岩本さんがいた。
「あ、そうっス」
「じゃあやっぱ昨日のおまえだったんだなー。なあ、隣に乗ってたの彼女か?」
 彼女、と言われ、えっと思った。そしてすぐに誰のことを指してるのか気づき、少し考えた。
 昨日、助手席に乗っていたのはキヨだった。だからすぐに、彼女じゃないと否定しても良かったけれど、その前に自分たちの行動を思い返す必要があった。
 ――車の中では、キスはしなかったはず、だよな。だから多分、大丈夫。
「や、あれ、清川っていってETUで一緒だった、――友達っス」
「え、男? なんだよ、金髪だし髪長いからてっきり、東京から彼女が遊びに来たのかと思った」
「そんなんじゃないスよ」
「そっか、せっかくのいじりネタがひとつ減ったな」
 通りすがりに、車ン中だからな、勘違いしちまったと岩本さんは笑った。
「ネタって?」
「ん、今夜さ、暇? 俺たちメシ行くんだけど、一緒にどう?」
 俺たち、の内訳はDF2、FW1の俺と年周りの近いチームメイトだった。移籍間もない自分を気遣って誘ってくれているらしい。
「是非、お願いします」
 甲府へ来てまだ3週間、練習時間だけではまだまだチーム全員の顔まで覚えきれていない。事前に調べてはいても、写真と実物はかなり違うものだし。そこへこの誘いは有難かった。
「じゃ、集合6時だから。場所はあとでメールするからおまえの教えて」
 連絡先を交換してから、じゃ、後でなと岩本さんは走り去っていった。

 俺は転校したことがない。だから一人で全く違う環境に放り込まれたのは今度が初めてだ。
 高校卒業後5年過ごした東京、そしてETU。
 甲府からオファーが来ても、監督は俺を出すつもりはなかった。自分さえよければまだETUでやれた。ルーキーの時期をとうに超えて、やっとレギュラーで使ってもらえてきた時期に、なんで出るんだって、皆が思っただろう。
 だけど、短い時間で一生懸命考えて移籍を決めた。
 達海さんという革新的な監督を迎えて、確実に登り調子のチームを出るということ。
 本当にちらとも考えたことがないのに、人生って、そして自分の心が、不思議だ。


 一人になって改めて車に乗り込む。シートベルトをして、エンジンをかける前に、隣を見た。
 昨日、岩本さんが見かけたといっていた。長い金髪の、同乗者。
 キヨだ。
 友達だと言ったけど、本当は違う。
 離れることが決まってから、俺たちは恋人同士になったんだ。


 キヨ。
 キヨのことを考える。
 ETUで最後に達海さんと話した日に、送ってくれと車に乗り込んできたキヨとふたり、少し遠回りをした。
 5年一緒にラインを守ってきたキヨ。
 いい仲間だった。最初から気が合って、楽しくやってきた。
 だけど、あの日最後にキヨのアパートの前で車を止めたとき、シートベルトをはずしてじゃあな、と言ったもののすぐには降りようとしないキヨを見て俺は、ああなんだ、そうだったのか、って思った。
 少しうつむいたキヨの腕を引いて、キスをした。
 そっと触れただけのキスだった。唇を離して覗き込むとキヨの目がまっすぐに俺を見た。
「これで、間違ってないよな?」
 少し赤くなって、キヨは泣き出しそうな顔で頷いた。

 あのままETUにいたらきっとわからなかった。毎日のように顔を合わせて、冗談言って、たまに飲みにいって。そういう関係で満足だったから。そうやっていつかキヨに彼女ができて、そのとき初めて間抜けにも自分の思いに気がついたんじゃないか。
 
 仲間じゃなく、友達じゃなく、好きな人として見るキヨは本当にかわいい。
 あの後すぐ、キヨが車から出てアパートに駆け込むように姿を消してしまってから、俺はキヨを抱きしめることも、好きだということもできなかったなと気づいた。
 追いかけて、部屋に入れてもらおうかと思ったけど、慌てることもない、少し距離は開くけど同じ空の下にいるんだから、休みのときにまたゆっくり会えればいいかと、そのまま帰ってきた。

 甲府に着いたとメールをして、それからなんとなく毎日のようにメールのやりとりが続いた。電話もときどきする。そんな中でも、いつ会えるかっていう話題は出なかったのに、三日前に急に明日そっちに行く、なんてメールが来た。
 ――やっぱりもう我慢できない。
 そんな文が最後に付いていた。

 練習を終えて東京を出発して、キヨがこっちに着いたのは夕方になってからだった。
 観光案内をするにも、もう遅いから今度は俺の車でクラブの練習場の方をまわったり、近所を軽くドライブしてから食事して、部屋に戻ってきた。

 どうするかなあ、って俺は考えた。
 お互い大人だから、やることやるのは異議はないと思う。けど、どこまでどうするのか、やっぱりちゃんとキヨの気持ちを聞かないとだめだよなと思っていた。

 東京よりは家賃が安いから、ここでは2LDKという間取りのマンションを借りていた。前のワンルームみたいに部屋に上がってすぐにベッドが見える、みたいな訳ではないから、少しは落ちついて話ができる。
 リビングのソファを勧めて、俺も隣に座った。
 今までだって、何度も隣にそうやって座ってDVDを一緒に見たりしていた。肩が触れたって別に当たり前だし、気にもしていなかったのに、なんだかやっぱり二人とも照れてぎこちなかった。

「あのさ、キヨ」
「うん」
「布団、買ってきたけど、一応。おまえどうする?」
「ハマ、なんだよ、それ」
 少し膨れ顔のキヨが俺の肩をこつんと突いた。
 ――きったねーの。
 そう言いながら、キスをしかけてきたのは今度はキヨのほうだった。
 ぎゅっと抱きしめた体は、覚えている通りやっぱりごつごつと硬かった。けど、全然そんなの気にならない。 
 ――我慢できないって、いったじゃん。だからおまえの布団に入れてよ。

 そういう訳で、客用の布団は空き部屋に置きっぱなしになった。



 今は空の助手席をもう一度見る。
 キヨ。
 長い髪のすてきな恋人。
 そこにおまえがいるときも、もちろんいない日でも。
 いつでも想ってるよ。


ハマキヨ#1